【幸せになる方法をBjorkに学ぶ】scary
たまには長い湿っぽい話も書いちゃうんだから。
一昨日の秋におじいちゃんが亡くなりました。
振りかえってみると
私は小さい頃相当可愛がってもらったのですが、ひくぐらい冷たい孫だったなあと思います。
おじいちゃんの家に泊まった日も、
死ぬのが怖いと言って握ったおじいちゃんの手を
5歳の私はどうしていいか分からず振りほどいたことを覚えています。
大人になってからは、仕事中にかかってくる電話も
とれば寒くなったから風邪をひくなという内容。
PCに向かったまま取らないこともありました。
心臓の手術後の経過が悪く、危篤との知らせを両親から聞いた時だって、
仕事の約束をはねてよいか分からず
上司に行ってあげて下さい、と言われるまで
普通に働いていた私。
だからね、こんな血も涙もない私が、亡くなった後に急に感傷的になるなんて
全くもって身勝手で都合のいい話なんです。
内気な私が友達とはしゃいでいる姿を見ただけで、喜んでくれたおじいちゃん
たつくりの作り方を教えてくれたおじいちゃん
達筆で書道は師範代のおじいちゃん
おじいちゃんおじいちゃんおじいちゃん
亡くなった直後も、一年たったあの日も
会社帰りの中央線で、泣いている私がいました。
いや、ちょっと涙ぐむとかではなくてね
周りの人は奇怪に思うぐらいな号泣なわけですよ。
観光客が見たら、「東京ってやっぱり怖いとこなんだな」と地元のよさを思ったことでしょう。
何故泣いていたかって、
おじいちゃんがいなくなった悲しみでも
無慈悲だった自分への嫌悪でもなく
ただ、おじいちゃんが私を愛していてくれたんだ
ということに触れて、思い出して、
1人感動していたんです。
Bjorkのscaryはこう歌っています
no courage for love
too scary to be happy
愛する勇気がない私は
幸せになることを恐れすぎている
上記の意訳は私の解釈なので正誤は分かりませんが。
これを逆説的に捉えれば、勇気を持って愛することができれば
私たちは幸せになれるということです。
目の前で冷徹に、あなたの愛情を受け取らないその人にも、愛情を与える勇気を
持っても幸せなんかもな、とビョークは言ってるのかな。
与えられた愛情は確実にその人に積もり
自分が死んでからかもしれないけど、ただ愛されていたことにその人は気づくから。
その貴重さに中央線で号泣してるかもしれないから。
見返りなく愛するなんでできなくても
そうやって解釈して、相手次第ではなく
心穏やかにいることはできるでしょう。
ね、ビョークさんよ。
好きなものは好きと
愛してるなら愛してると
言葉して生きていく勇気を人生に持ち込もうぜ!(´Д` )
その貴重さに気付かないバカも、後々咽び泣いてるかもしらないからさ!
曲は、こんなこってり、ウェットな内容を、全く感じさせない、キッチュな印象。
easy&deep
気楽で、単純そうなのに、深い
表現者としてのビョークのセンスに脱帽だよ
(´Д` )まったく
そういうセンスがない私は、ねちねちしこしこ、長文を書くのでした。
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